私の設計作法

□「空っぽ」-そこは、あらゆるものの出てくる源

「無之以為用」老子のメッセージです。「空っぽ」こそ役に立つというような意味。解説を読んでみると「例えば粘土をこねて器をつくるとき、器の中は空になっている。この空の部分があってはじめて器は役に立つ。中がつまっていたら、何の役にも立たない。また、どの家にも部屋があってその部屋は、うつろな空間だ。もし部屋が空でなくて、ぎっしりつまっていたら使いものにならない。うつろで空いていること、それが家の有用性なのだ。私たちは物が役立つと思うけれど、じつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ本当に役立っているのだ。」とのことです。

私たちは設計作業を行うとき、この「空っぽ」の部分を大切にします。建築の専門用語でいうと空間もしくは空間構成。もしくは間の取り方、隙間。音楽にあてはめてみると音符と音符の間の空間。音楽は1つの1つの独立した音だけでは成リ立たず、音と音の組み合わせ、間隔、強弱・・・などにより成立します。そしてその扱い方により、聴く人を勇気付けたり、悲しい気持ちにさせたり、高揚させたり、・・・。同じ音を使っても使う人・場所・時間・・・によってあらゆる種類の環境が生まれます。家づくりにおいて空間構成とは、部屋と部屋の関係・動線の取り方・室内と外部との関係・天井の低い所と高い所をどのように繋ぐか・近隣や地域環境とどう関係づけるか・・・また、どのように光や風を取り入れ、どのような空気感を持たせるか、「空っぽ」の部分をどのようなイメージで表現するか・・・・。

素材・構造・断熱方法・バリアフリー・防犯・設備的なもの・・・などは技術的に解決できる問題です。しかし「空っぽ」の部分は、ご家族がこれからどのよに住まわれるか・どのような空間が快適・心地よいと感じられるか・家と廻りの環境や近隣との関係性はどうなのか・・・などと大きく関ってきます。決められた答えはありません、システム化することもできません。それぞれの家庭環境やライフスタイル・敷地環境を読み込み、創りあげていくものです。いくら高価な素材・最新/便利な設備を取り入れてもこの「空っぽ」の部分が豊かで満たされないと心地よい住まいになりません。

設計依頼を受けたとき、機能・技術・素材・設備的な要望や希望に多くの時間を掛けます。しかしそれ以上に、今までどういった暮らし方をしてきたのか・これからどのように暮らしていきたいのか・ご家族にとって住まいをつくる意味は何なのか・周りの環境に与える影響は・・・など住まいに対する思いや夢・意味を話し合います。そんな話し合いの中から、ご家族の趣味や嗜好、ライフスタイル、家族の関係性、ご近所との関係から旅先でフッと出会った心地よい場所・気持ち良いと思う風景・好きな音楽・本・映画・・・などそのご家族や地域ならではの情報がでてきます。オリジナルな価値観、それらを設計の拠りどころとし具体的な形としてゆきます。

そして家づくりは、ご家族と建築家の共同作業です。お互いを尊重し合い、ご家族が求められているイメージや夢を具体的な、スケッチ・模型・図面・見積りに置換えてゆきます。時間の掛かる作業です。何度も納得ゆくまで描いたり消したり、つくったり壊したり、できるだけ先入観を持たないようにしていろんなパターンやアイデアで図面や模型を検討してゆきます。ご家族が求められているものが、建築家の感性やアイデア・技術で生かされ家づくりに対する思いが共有できたとき「空っぽ」の部分が満たされてくるのだと思います。私たちは、身体的であると同時に精神的な存在です。家は単に機能的で使いやすく消費されてゆくといったものではありません。身体が快適な場所を欲するように、精神も自由な場所を欲します。

また私たちは、住まいは町の文化であり財産だと考えています。もちろん家は個人的なものですが、廻りの街並みや環境・社会に大きく影響をあたえます。1つ1つの家が集まり街並みをつくり地域を形づくってゆきます。1つ1つの家や個人を考え抜くことで、偏狭な個人性を超え、より社会に根ざした存在となる可能性を持ちます。

雑誌やネットなどで家づくりの情報が手軽に入るようになり便利になりました。しかしそれらが自分たちにとってどういった意味を持っているのか・本当に必要なものなのか?物や情報に頼らず、自分たちにとっての家づくりとは何なのか、自分たちの家が周りの環境や社会的に対し、どういった意味を持つのか?今一度掘り下げて考えてみると家づくりの可能性や楽しみも広がるのではないでしょうか。

家づくりニュース記事より