デュシャンの展覧会(マルセル・デュシャンと20世紀美術)を見る。
予備知識なしに行ったけれど既視感がある内容だった。それもそのはずで、デュシャンの後にはポップアートやコンセプチュアルアートが続き、現在目にする多くのアートの源流だといえてしまうらしいからだ。
例えば、トイレの便器がポン、と展示されていたりする。それだけではまるでハテナ、である。美術館に便器くらいあるわな、このご時世だもの。なんて思う。思うけど、そう思ってしまったら身も蓋もないわけで、ここは一つ、デュシャンが生きた時代に戻らなければいけない。時代は絵画、彫刻が美術館を占めていた時だ。そこに便器の登場。当然、「美術館に便器?!なんて汚らわしい!」となる。絵画や彫刻は鑑賞して、味わうための対象としてあるのに反して、トイレというその正体が分かりきったものが割って入るのは、さすがに侮辱された気分になったはずだ。
ようするに、便器は見る対象ではなくて、美術館に持ち込んだっていう行動の単なる結果だ。この「行動」自体が重要なのであって、置かれたものに価値は無い。だから、便器の前に立ち止まってウンウンうなりながら難解に解釈しようとすればするほど自分がアホにされてしまうという構図がある。また、デュシャンのコンセプトを他のアーティストが再生産して表現していたが、同じように大きな価値があることとも思えない。違うだろうか?