メタフィジカルからフィジカル-yoshihara

「アーキテクチャと思考の場所」という公開シンポジウムを聴きに東工大へ。発表者は、濱野智史・宇野常寛。ご意見番、磯崎新・浅田彰・宮台真司、司会は東浩紀。大御所の論客に、サブカル・オタク系の若手が論戦を挑む。会場は満員御礼立ち見状態、3時間を超えるディスカッション。

090130

磯崎新のメタフィジカルからフィジカルへのズレという話が印象的だった。
北京オリンピックの「鳥の巣」は失敗だった。コンピューター上の設計では、何の問題もなかったが、実際の工事現場では破綻をきたしてまった。全てが変形している溶接工事は困難極まり、開催に間に合う見込みなく、屋根をつくることを断念してしまった。本来屋根を支えるための鳥かごの構造が、見た目だけの奇妙な建築となってしまった。
つまり建築設計が、施工技術を考慮していないメタフィジカルなレベルだったため、実際に建設するとき、すなわちフィジカルのレベルでは物質的な問題が起きてしまったとのことだ。

いまや設計の仕事ではpcは欠かせない。複雑な計算も素早くできるようにり、様々なパターンも検討しやすくなった。しかし画面上であらゆるカタチがつくれても、そこには重力が存在していない。そのまま実際の現場に移行してしまうと、部材が重すぎて運べなかったり、複雑な形状で施工ムリだったり、時間やコストがかかり過ぎ・・・・などと問題山積みとなってしまう。

建築だけでなく、政治や経済の世界でも起こりつつある問題なのであった。